カテゴリー:
書評
2013-04-18 10:30 by 仁伯爵

 私が村上春樹の本を初めて読んだのは、昔大好きだった女性が村上春樹のファンであるということを知り、共通の話題を作ろうしたよこしまな動機がきっかけであった。その女性にお勧めの村上春樹作品はどれかと尋ねると、「世界の終わりとハードボイルドワンダーランド」だと、よどみなく答えたので私は最初にそれを読んだ。「世界の終わりとハードボイルドワンダーランド」は見事なまでに分けがわからなかった。しかし、物語の意味を全く理解できなかったにもかかわらず、私は本の中に出てくる2つの世界に魅了されてしまった。理解できない対象は魅力的であり、放つ香りはとても甘美である。その女性に対して抱いていた好意もそのようなものだったのかもしれない。共通の話題作りにと始めた読書だったが、話のネタとして役立てることはできなかった。その物語に対して、彼女は自身の解釈を意識的に、もしくは無意識的に持っていたであろうが、それを彼女から語ることは無く、語ることを嫌がっていたようにすら見えた。そして彼女にとっての村上春樹の物語に対する興味は、私がこの物語に持っていた強い好奇心を伴った興味とは全く別の意味を持っていただろうことは想像に難くなかった。共通の話題とするにはあまりに不適切なものになってしまっていたのだ。事実、何度か「世界の終わりとハードボイルドワンダーランド」について話題にしようと試みたが、いずれも失敗に終わった。当然の如く、その恋は実る事はなかったが、彼女に私の思いが届く可能性が潰えた後も、村上春樹を読む習慣は残った。そんな流れで、この「色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年」を読むに至った。

 今回の「色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年」も、見事にわけがわからなかった。多くの謎と伏線が投げっぱなしジャーマン状態なのである。灰田が多崎つくるのもとを去った理由も分からずじまいで、灰田の父親と緑川の不思議な力の話にも落ちがつかない。シロの子供の父親も、事件の犯人も最後まで明かされることはない。そして結末、多崎つくると沙羅がどのような話をしたのか、それ以前に会うことができたのかすら明かされぬまま物語が幕を閉じる。

 村上春樹作品の多くは著者の精神世界をベースにして、それを表現するために物語がたんたんと流れていく。おそらくその物語が何を意味しているのか村上春樹本人しか本当の意味での理解を持つ者はいないだろう。そして物語を作り送り出す著者としては、読者の感情が喚起されればいいのであって、一々正しい理解など必要ないという事のようだ。比べることに抵抗を覚える人もいるだろうがあえて言うとエヴァンゲリオンもそのたぐいの物語だ。人々は作品について考察したいという欲求にあらがうことはできないが、その考察は尽く徒労に終わる。そのような物語について掘り下げるのは無粋であるともいえるだろうが、分からないものについては考察したくなるのが人情だ。

 灰田の失踪については、多崎つくるはシロとクロのどちらかを選ぶ決断を避けるためシロとクロを一人に混ぜて灰色に仕立て、女性であると認識して恋愛感情を抱いてしまうことを拒否する為に男性にした代替案として灰田を受け入れる。しかし、わざわざ男性を選んだにも拘らず灰田に対して性的な夢を見てしまい、その方向性も拒否するという形で灰田は多崎の物語から排除されたように見えた。多崎つくるが望んだのは二者択一の必要が無く、恋愛感情を持つ必要のない拠り所であったからだ。同性愛と言う方向性を提案しそれを拒まれた灰田は物語から自ら退場していくが、多崎つくるに新しい傷を負わせると同時に古い傷を色褪せさせ、巡礼の旅へのきっかけの一つとなっている。

 アオに関しては語るべくもないだろう。夢破れてなお日常を生きる男の末路といった風情だ。アカは一応の社会的成功をおさめてはいるが、幸せとは程遠く訪ねてきた多崎に対して弱音を吐き同性愛者であることをカミングアウトする。二人の懺悔を聞いたこの時点でシロに対する性的暴行の犯人が見知らぬ第三者では無いと仮定すると、その犯行の動機の発端は多崎つくるをめぐる人間関係にある事が確定してしまう。夢と現実の境目があいまいなこの物語において、事件の原因を作ることと実行犯となることの間に大きな差は無い。

 灰田の父親と緑川の話は、緑川が大切に持っていた包みの中身を、駅長と無口な後輩の話から6本目の指だと多崎つくるが想像し、物語の終盤に夢の中で6本目の指を持つ女性に楽譜をめくってもらうという場面へとリンクしていく。夢の中で彼は難曲を演奏することを楽しんでいるが、弾けば弾くほど観客に愛想をつかされ、彼の味方たる譜めくりの女性は不自由の象徴である6本目の指を持っている。多崎つくるは難しい人生を歩み、それを前向きにとらえ楽しみ始めるが、それは周りの人間を呆れさせ、適切に導いてくれる女性すら幸せにしない。そんな救いのない結末を暗示している。

 クロとの会話で救いを見出しフィンランドから帰った後、クロから止められていたにもかかわらず、多崎つくるは沙羅にほかの男性との交際を問い詰めてしまう。3日待ってほしいと言われていながらただ声が聞きたいという理由で、夜中や明け方に追撃の電話を度々掛けて沙羅を呆れさせ、最後には自分から掛けた電話のコールバックを無視するという独りよがりな行動に出てしまっている。また、フィンランドへ逃亡していたクロを訪問しシロに関するわだかまりを解くことで、クロの忘れていた恋心を思い出させてしまい、フィンランドの冬の長さを語らせてしまう。クロは最後に「悪い小人に捕まらないように」との言葉を残すが、クロの名前は黒埜恵理であり、前作「1Q84」に登場したフカエリと同じ名を持つ。今作での悪い小人はクロの多崎つくるに対する未練であると仮定すると、シロに関する事件の夢の中での犯人たる多崎つくるは簡単にそれに捕まってしまって自滅しているように見えた。

 沙羅を手に入れることができなければ今度こそ命を落としてしまうと言う多崎つくるは、巡礼の旅を終えて人生最大の問題を解決してしまっており、もはや行く当てもない。物語の終幕の後、沙羅に会うことすら叶わず、彼は物語の欄外で彼自身の物語から退場していくことだろう。シロが弾いていたリストの巡礼の年第1年:スイス郷愁のメロディーそのもののような陰鬱さをこの物語は湛えている。物語がすべての決着の前に終わるのは、棋士が将棋盤の上で局面を読み切って投了するが如く、結末を想像するに足るすべての材料が出そろった状態にとどめているように思えた。局面を読み切った者だけがもういいと納得できればいい言うことなのだろう。物語の終幕後、多崎つくるが詰まされるまで、その一部始終を文章に現してしまうと、物語を読んで共感した人が死んでしまいかねない。そういう配慮があったのではないかと邪推してみたくなるようなそんな救いのない物語であると私の目には映った。皆さんはどう読んだだろうか。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です


*


*

投げ銭はこちらへ
bitcoin :
1FtNVmXFAkwKPPz7MTcbNXzRnKJaYdMyKf

bitcoin :
1AFU37YroGt8ohmFz8nG1N2ockL56Z4hfQ

2017年12月
« 11月    
 123
45678910
11121314151617
18192021222324
25262728293031
カテゴリー