最近はTVを見る機会がとんと減った。それにつれてTVCMというものに触れる機会も減った。少し前に友人とメールのやり取りをしていた時、おちゃらけて「~だぜ」という口調でメールを送ったところ、「すぎちゃんですね!」と言われ、”すぎちゃん”が誰だかわからない私は困惑してしまうという状況に陥った。それほどまでにTVのない生活を10年続けるだけで、世間の流行と乖離することができる。
しかしながら、TVCMに触れる機会は減りはしたものの、0にはならないのだ。Webサイトで紹介されるニュースで、どのCMがおもしろいとか、どのCMが社会問題になったとか、そういった類の情報がニュースとして流れてくる。もはや宣伝かニュースかの区別すらつかない。すぎちゃんが流行り出したころは、その名を知らずに困惑した私だったが、その後しばらくすると、やはりすぎちゃんが何者か、調べなくても自然と分かるようになっていた。だが、どこで杉ちゃんに関する情報を自分が仕入れたのか、思い返しても心当たりがないのだ。いつの間にか、あの袖を切ったジージャンを着て、頭をオールバックに固めてかてか光からせた、したり顔でにやりと笑う男が、ワイルドなものを列挙するというネタの内容まで知るに至った。腐ってもマスメディアの影響力は未だに強大なのだ。
なぜ私は知っているのか。いつ、私はすぎちゃんのネタの内容を知ったのか。おそらくは、高度にシステム化された芸能界という広報の仕組みにすぎちゃんが乗っかっていたのだろう。その「隠れた説得者」にかかれば、我々が意識する間もなく、身近な生活に入り込みどんなに興味の無いことでも認知させられてしまう。介入を受けていることを認識できないのであれば、防御の仕様もない。では、「隠れた説得者」は情報や広告をどのようにして、気づかれることなく我々の脳みその中に居座らせるのか。その手口がいろいろと紹介されているのか、今日の一冊、「なぜ、それを買わずにはいられないのか―ブランド仕掛人の告白―」である。ネット上では何かとステルスマーケティング(ステマ)だと騒がれるが、この本で語られる内容はそんなちゃちなものではない。感心させられると同時に、我々に自由意志など存在するのかと疑いたくなるような、空恐ろしいものばかりである。
この本の著者、マーティン・リンストロームはディズニー、マイクロソフト、ペプシ、メルセデスベンツから、某国の王室に至るまでありとあらゆるマーケティングを手掛た経歴を持つ。日本でも2005年に博報堂とアドバイザリー契約を締結したことで記憶されている方もいるかもしれない。本書の中にも、有名な多国籍企業名や、ブランド名などがバンバン登場し、どんな手口を使っているのかがバンバン暴かれる。しかし、その暴露すらマーケティングの一部である可能性が否定できない。いきなり序文を映画「スーパーサイズミー」や「ビン・ラディンを探せ! 」の監督であるモーガン・スパーロックが書いているのだが、それすらも新作映画のプロモーションになっているのだ。モーガン・スパーロックの序文の後に、「はじめに」があり、第一章へとつづく。普通ならば「はじめに」とは序文のことなんじゃないのか。この本は隅から隅まで気が抜けない。
本書で紹介されているマーケティングの手口の一部をざっと思い出せるだけ列挙してみるとこんな感じだ。
- コピコキャンディーを妊婦に食べさせ、生まれてきた子供が将来コピコキャンディーと同じ味のコーヒーを買うように仕向ける。そのために産婦人科にキャンディーが置いてある。
- レゴに使われている部品や、レゴの色で将来の消費者を育てる。
- アクアフレッシュは歯茎が傷つく恐怖をあおるCMを流す。
- 子供向けアニメに隠れた性的な第二の意味を持たせる。
- エナジードリンクは意図的に依存性のある物質(砂糖、タウリン、パントテン酸カルシウム、アセスルファムカリウム、アスパルテームの化合物)を利用しているだけでエナジーは出ない。
- カーメリックスのリップバームには、サリチル酸が入っているので使うと余計乾燥し使用を止められなくなる。
- 王族の手っ取り早いイメージ向上はロイヤルウェディング
- 「有名人が広告に出てるからって、その商品買ったりしないよ」と思っていても実際には無意識に買ってしまう。
- ジゴベリー、アサイベリー、ザクロはマーケティングが成功しただけで、本当に健康にいいわけじゃない。
- サプリメントは効果がない。
- ビッグデータの追跡からは逃れるすべはない。
アメリカでの実例がたくさん載っており、多国籍企業の例ではアックスや、アップル、マクドナルド、レゴ、レッドブル、ペプシなどなど日本でも使われている製品が多く登場し、どんな方法で消費者に買わせるのかの種明かしがされている。アメリカならではの部分も多々あった。ジゴベリーなど日本では聞いたこともないが、アメリカではオリエンタルなイメージ(チベットの僧侶のイメージなど)をつけることで全く効果がないにもかかわらず健康食品として人気を博しているそうだ。”ナチュラル”という言葉には法規制がないのでなんにでも使えるとか、美容品としてサプリメントを売れば薬品とみなされないのでFDA(アメリカ食品医薬品局 Food and Drug Administration)の臨床試験を免れ、誰でも自由に作って売ることができる事などはアメリカの法的な事情だが、TPPに参加すれば日本にも共通化されるのだろし、日本でも似たような規制回避のノウハウは各業界で当たり前に横行しているのだろう。
紹介されている手口はスケールが大きすぎて真似できない物も多い。妊婦に音や臭いなど自社製品につながる刺激を与えて子供の将来の消費に影響を与える戦略など、効果が出るのは10年も20年も先かもしれず、しかも大々的にやらなければ効果は出ない。大企業ならではの戦略だろう。しかし、2週間前に収穫した農作物を、あえて泥をつけたまま店頭に並べ、霧吹きでしずくをしたたらせてフレッシュ感を出して売る、などという誰にでもできる小手先の手口も所々に登場する。そういった地道なごまかしも、それなりに効果があるのだろう。
また、各章のいたるところにfMRI(functional magnetic resonance imaging)が登場する。これは脳や脊髄のどの部分が活性化しているか調べる装置で、本書の中ではどの様な時に、脳のどの部分が活性化しているのでどういう刺激を受け取っている、という分析をする場面がしばしば出てくる。現在の実験は被験者にアンケートを取るなどという甘っちょろいものではないということを教えてくれる。写真を見せたら、視覚皮質が活性化したとか、下前頭回が活性化したから惹かれてしまったのをごまかしたなど、自白など問題にならないくらい正確に心の中を読まれてしまう。ともすれば本人すら気づいていない無意識の動きまで読まれてしまう。マーケティングを行うものはそのようなデータを用いて我々の無意識を動かすことを目的に広告を仕掛けている。店に流れるBGMすら目的を以て選択されている。現在のマーケティングの世界に偶然は在り得ない。
そして、やはりというべきか、ビッグデータにも当然の帰結として触れられている。ポイントカードを使う時、割引される金額よりも多くの価値のある個人情報を売り渡している。クレジットカードでする買い物は、その履歴がやはりビッグデータの一遍へと吸い上げられている。Web上で行う行動は、Webでの検索履歴はもちろん表示させた画面、クリックした座標まで有益な情報としてビッグデータを構成するひとかけらとなる。リアルな世界でも、電話での会話はもちろん、店によっては店舗での店員との会話は録音されコンピュータソフトを用いて解析されている場合があるという。先日、Gigazineに「同性愛者であることを家族より先にFacebookが知っていた」記事があった。一昔前なら陰謀論かと一笑に付されていたようなことが、公然の事実として行われている。このような事実は今更聞いたところで、さもありなんといったところだろう。最早プライバシーなど守りようもない物となりつつあるのであれば、ビッグデータ活用の事実など知らなければよかったとさえ思えてくる。
私たちが新鮮だろうと思う事と、実際に新鮮であることには関係がない。我々は実際に新鮮なものよりも、新鮮に見えるものを購入する。人間の認知は論理ではなく、パターンマッチングを得意としているからだ。マーケティングとは人の心を誘導することであるようだ。この本にはその方法が実例を伴って、実際に仕掛けている側の第一線で活躍するプロの口から語られている。明日買い物に行く前に一度読んでおくと、世界を違った角度から眺めることができるようになるかもしれない。この本はそんな即効性のある一冊である。