情報技術が進んでも変わらない雇用形態
情報通信技術、いわゆるICTがもたらす大きな変革の一つが働き方の変化だと、一部で言われ初めて久しい。在宅勤務や、SOHO、IT系のフリーランスとそれをノマド(遊牧民)と称する流行もその一部だ。情報通信が発達したのだから、会社に雇われず個々に独立して契約のもとに仕事をする働き方が可能なのではないかと模索されているのだ。だが、未だにそのような変化は実際に一般的な形では起こっていない。相変わらず人は皆ラッシュ時になると一斉に電車に乗って職場へ向かい、一斉に働き、一斉にランチタイムに食事をとり、一斉に家路につく。一斉に休暇を取り、一斉に高速道路を使用してトラフィックジャムを引き起こす。盆暮れ正月の新幹線の乗車率はまだまだ200%を超える。一般的大多数は、昔ながらの働き方を続けているのだ。
TV電話やビデオチャットによる遠隔会議は便利ではあるが、一つの会議室にオフラインで集まる場合と比べると、会話のタイミングも掴みづらく意思疎通がはるかに難しい。メールも便利だが、仕事で使うとなるとその受信量は膨大となり全部に目を通すことは不可能に近い。メッセンジャーも電話と同じく使用している間、ずっと拘束されてしまう。結局、人の物理的移動は極めて非効率だが、現状で最も効率的でもある。情報伝達の手段は急速に進化しているものの、人間の双方向コミュニケーションをそこに乗せると、かえって非効率になってしまう場合のほうが多い。面と向かって会話していても誤解や行き違いに人は悩まされ続けているのだから、脳と脳を直接つなぐ技術が開発されない限り解決不能な命題なのかもしれない。
それでも変わらざるを得ない雇用形態
その一方で、会社に雇われる身が酷く不安定な身分に変質してしまったのも事実である。ICTの進化による効率化は、確実に雇用を削減してしまう。「ICTで減ってしまった雇用は、別の場所でICTによって生み出される」等というのは真っ赤な嘘だ。システム開発自身が最後に残った労働集約的な仕事である。それも技術的特異点を迎えるまでという時間制限付きだ。そこまでいかなくても、既存のアルゴリズムを使いまわして、仕様書を入れればコードが作成されるような仕組みができれば、それで終了だ。人間の出る幕はない。そんなSF的な話を引き合いに出すまでもなく、現時点においてすら、雇用が確保できず従業員の賃金も上がらない現状では、会社の従業員を正社員と称するまやかしも、もはや限界に達している。自社の株を持たず取締役でもなく経営に口を出す立場に居ない者は社員ではない、ただの従業員だったのだ。その幻想の崩壊を社地区という言葉が象徴する。
情報通信技術の力が人員削減に役立つならば、それを逆手にとって個人でその力を利用することも可能だ。雇われる者にとってはリストラの呪いであった人員削減も、自分で事業を行う者にとっては福音である。人を雇わなくてもコンピューターを使うだけで、100人力の仕事ができる。企業の従業員として受け取るだけの年収と同程度を稼ぐだけなら、出来ない事は無いはずだ。CADや3Dプリンタを使って製造業を始めることすら不可能ではない。雇い主が貧窮して従業員にやりがいも満足な待遇も与えられないのであれば、独立は魅力的な選択肢だ。さらに言ってしまえば全員分の雇用が無いならば人々は、自らビジネスを行う事を真剣に選択肢の一つとして検討せざるを得なくなるだろう。
安定的小規模乱立時代のお金の受け取り方
個人が好き勝手に小規模ビジネスを乱立させて果たして安定できるのか。その答えはいまだに出ない。収益機会を個人に開放しようという動きは一部で確かに感じられる。ニコニコ動画を運営するドワンゴ社が、ブロマガと呼ばれる有料課金制度を個人に開放したのもその流れだ。ドワンゴ社の川上会長と岡田斗司夫氏との対談の中で、川上会長が「ネットユーザーの居場所と、稼げる手段を作りたかった」と発言している。世の中には有能なニートがあふれており、そこに自活の手段を提供するのが目的だという。企業に成長してもらって雇用を増やすなんて話よりもよっぽど身近で現実的だ。知名度のある有名人が ブロマガ?で収益を上げることに成功している。一般人や局地的な有名人がそこでどの程度成功するのか注目していきたい。
amazonアソシエイトや、googleアドセンス等のアフィリエイトやWeb広告も同じ流れの中で便利なツールだと思われがちだが、これらは毒まんじゅうだ。自分でWebサイトを立ち上げてそれを収益化しようとした時、一番簡単なのが広告を張り付けることだ。私自身、Webサイトを作る度にA8やリンクシェア、Kauliなどなど、様々なサービスを利用して広告を張り付けてみたが、結局のところ何の工夫もなく一番高い収益をもたらしてくれるのが、googleアドセンスでありその次がamazonアソシエイトであった。だが、googleアドセンスは頻繁にコンテンツの内容に干渉してくる。ひどい場合は足の裏の絵がポルノであるとの理由で広告の配信を停止されたという例まである。(『Google Adsense』 グーグル広告の停止から復活への道のり)googleアドセンスの公式フォーラムには、googleから理不尽な制裁を受けたユーザーの断末魔で溢れている。地域の祭りのふんどし姿がNGだったり、何をNGとされているのかわからないといった場合も少なくない。それに対してgoogleに物申す窓口も限られており、googleが気に入らなければ返信すら来ない。つまりは、googleの気分次第で収益の根源をストップできてしまうのだ。amazonアソシエイトも昨年、報酬率の引き下げで話題になった。現時点(2013/4/8)でも、amazonがユーザーに報告する広告のクリック数が不自然に減少するという件でユーザーから戸惑いの声が上がるという事件が発生中である。amazonに問い合わせたところ、原因はamazon側にあり現在も復旧のめどはたっていないらしい。障害なのか仕様変更なのかすら良く解らない。張り付けた広告による本当の成果情報はamazonの手にしかなく、公正さを確かめる手段はユーザー側には無い。また、Webサービスの多くは、提供者の気まぐれにより、一方的に理不尽な制裁を受ける覚悟が必要だ。amazonアソシエイトや、googleアドセンスなど、金銭にかかわるアカウントもその例外ではない。あくまで、サイドビジネスやおこずかい稼ぎ程度にしかならないのだ。ビジネスとして行うほどに信用のおける物では在り得ない。もっとも、googleアドセンスなどは大口になれば担当の営業が付くので突然制裁を受けて、連絡手段がないというリスクは減少するかもしれないが、コンテンツへの検閲、干渉という面ではさらに面倒を抱え込むこととなる。AppleのappストアもAppleが開発しているのと同じソフトウェアは認可が下りないとか、appleに都合の悪いソフトがマーケットから排除される。iOSを乗せた端末はクラックしないとAppStore以外からのソフトウェアのインストールはできない。Windowsで今まで当たり前だった個人作成のアプリケーションはiOSやAndroidでは野良アプリと呼ばれる始末である。WindowsもWindows8からアプリストアからのソフトインストールに絞る方向に進むような、不穏な動きを見せている。google Playも無法地帯だがgoogleが運営している以上、自分のコンテンツが、思いもよらない理由でいきなり排除されるリスクは覚悟する必要がある。OSのプラットフォーマーにユーザーや開発者までもが囲い込まれてしまうのだ。iOSで野良アプリを導入できるようにするクラックが脱獄と呼ばれるのは、言い得て妙である。良く言ったものだと感心せざるを得ない。そしてそんな窮屈な現状に対する抗議の声は理不尽なビッグブラザー達には届かない。私にできるのは、自動返信メールしか返さないgoogleの問い合わせ窓口に問い合わせを投げ続ける事と、googleが運営するBloggerでgoogleの理不尽さを叫ぶ事だけだ。
例えば、googleアドセンスでポリシー違反だとある日突然メールが来て広告の配信を停止される。問い合わせフォームから問い合わせを行い、運よくgoogleから反応があったとしても、googleは検閲だと指摘されることを恐れて具体的にポリシー違反として修正させたい箇所を指摘してくることはない。そのため、指摘を受けた側は何を治せばいいのかわからず、自分のサイトをやみくもに修正しgoogleにこれでよいか尋ねるというプロセスを繰り返すことになる。その過程で必要のない修正を多く加えることを強いられ、一回googleからポリシー違反のメールを受け取ると、広告が再開されるまでの間に自分のサイトの有様は大きく変わってしまう。広告代理店がメディアに対して影響力を及ぼす形のミニマムバージョンが、googleと零細サイトに置き換えて展開される。広告代理店たるgoogleは嫌なら辞めればいいというスタンスで、直接的な影響力の行使の事実を否定するだろう。やはり我々に残された対抗手段は、幾ら広告のクリック報酬単価が高くてもgoogleには依存しない、そういう姿勢しかない。googleは理不尽はビックブラザーとして、彼ら自身無自覚でありながら強烈な邪悪さをもっている。
理不尽なビッグブラザーからの逃亡
他社のサービスに依存する収益が抱えるリスクは、依存の対象を変えただけで従業員が会社に依存するリスクと大差ない。社会的信用を失うという点において、従業員よりたちが悪い。この問題を解決するには、やはりWeb上に自身で課金できる手段を各々が持つほかないだろう。さりとて、「さあ、小規模でもいいからビジネスを始めよう」と考えた個人が扱える決済システムというのは限られている。対面で直接お金を受け取ることはできるが、お客さんがカードで支払いたいといった場合、カードの加盟店になる必要があり、審査を受けねばならず、通っても月々の使用量がとても高い。PayPalのビジネスアカウントを使えばお手軽だが、PayPalはsoftbankと提携している。スマートフォンに差し込むだけで簡単にクレジットカードで課金ができるPayPal Hereというサービスがsoftbankの端末でしか使えないなど理不尽な不便も多い。さらに収益が上がっていなかったアカウントが突然月に10万円の収益を上げるなどすると、犯罪防止という名目でアカウントが一時凍結されてしまったりする。他を探せばプログラマでない人でも自分のサイトに簡単に支払システムを埋め込めるMoonClerkというサービスもあるが、残念ながら日本からは使えない。
個人的にはこのお金を受け取る仕組み、つまり決済システムさえ簡単にお手軽に使うことができれば、誰でもWebでお小遣い稼ぎができる時代が来るような気がしている。駄菓子屋さんのおばあちゃんに、10円を支払うような手軽さでお金を受け取ることのできる仕組みがWeb上にあれば誰でも簡単にスモールビジネスが始められるのではないだろうか。そういう所にこそ、次世代のgoogleやappleのような成功者が日本から出てくる火種があるような気がしている。無名の個人が運営する魅力的なのWebサイトに、広告ではなく集金箱を付け、面白いと思ったら値段をつけてくださいと言うことができれば、そんなに素晴らしいことはない。
私はお金を使うことばかりで、受け取ることをなぜ今まで真剣に学んでこなかったのだろう。そんなことを考えた、春の夕暮れであった。