かつて見たフリーダム
かつて、10年か15年ほど前までインターネットは牧歌的な世界だったように思う。ウィルスをばらまいたり不正侵入を行うクラッカーはお金を盗むためにクレジットカードの情報を盗もうとするような奴より、引っかかったやつをおちょくるための愉快犯の方が圧倒的に多かったし、検索エンジンはgoogleの一人勝ちの体制が完成する前でいろんな選択肢があり、一つの検索エンジンで思った情報を得られなかったら他のエンジンを試せばよかった。誰が読むのかはなはだ疑問な個人が運営するブログではない個人ホームページが多数その存在を許されており、BBSも巨大掲示板のみではなく小規模なものが乱立して、そこでどんなひどい暴言を吐いても逮捕されたりはしなかった。人々はネットで行われている通信の秘密が守られているかどうかなど気にも留めていなかった。個別チャットサイトの個人的な会話も、やり方さえ知っていれば簡単に他人のチャットルームを覗くことが誰でもできた。良く言えば自由、悪く言えば無法地帯であった。
そんな世界が放置されるはずもなく、著作権法の大規模な侵害、犯罪予告をしたうえで行われる犯罪、それを模倣したカラ犯罪予告、出会い系を温床にした未成年の買春、児童ポルノの流通などなど、それぞれにきっかけとなる事件をトリガーとして順次規制される法律が成立していくことになる。違法ダウンロードに刑罰が付き、過激な発言をネットに書き込むと警察が飛んできて、18歳未満とのみだらな行為は条例によって罰せられ、児童ポルノの単純所持すらも違法化されると言う世界になってしまった。それぞれしてはいけない事を規制すると言う行い自体は一見問題ないようにも見えるが、その方向性に便乗して自分たちに有利な法律を作ろうとするロビー活動的な組織力によって、結果として設置される規制は醜悪なものとなる。違法ダウンロードの刑罰は過失致死のそれよりも重く、2ちゃんねるに書き込まれた頭の悪そうな嘘犯罪予告にまでいちいち警察が介入し、淫行条例はそれ自身が抱えた矛盾故に法律たり得ぬまま条例でしか実現され得ず、児童ポルノは単純所持を禁止しただけでは飽き足らず被害者のいない絵やCGまでも標的にしようとしている。それそれに関わり規制を求めた団体の持つ力が強すぎて正すべきポイントを通り過ぎ、明後日の方向へと驀進中だ。悪を正すと言うよりは、規制を運用して都合よく便利に使ったり、儲けのネタにしたりすることが目的となってしまって、不正を行っていない善良な一般庶民にとっては不便や不利益を強いられるだけの意味のないものに成り果てている。
インターネットにおける匿名性という名の幻想
インターネットに対する世の中の流れは今のところ規制強化の一方向だ。規制をする側にとっては通信の内容や発着信元が分かっていればとても便利である。しかし、通信の内容を覗かれる側にとってみては悪夢だ。一般庶民を監視する者を擁護する論理として監視され丸裸にされて困るのは企業秘密や特定秘密にかかわる仕事をしている人か、悪いことをしている奴らだけだ!という論調もよく聞く。しかし、トイレの個室の中でウンコをする事には何ら違法性は無く、誰しもが行っていると言う事をことさらに話すことはないまでも全人類が行っているのだと言う事を暗黙のうちに了解している。恥ずべき行為でも何でもない当然の行為である。吾輩も今朝すこし大きめのうんこを出して水洗にそれを流した。大きく切れの良いそれが出た日はとても調子が良く清々しい気分になるものだ。だが、踏ん張って苦悶する表情や、出し終わってスッキリし満足げなその様子をだれでも閲覧できる状態にされたり、誰かにのぞかれたりしては困る。人としての尊厳にかかわる問題だ。他にも恋人との甘い会話、母親との完全無防備なやりとり、エッチなサイトの閲覧履歴等々、微塵も法に触れる気配すらないが、暴かれたら困る通信などいくらでも想定できる。それらは赤の他人の目に触れたという事実だけで個人の人格を崩壊させかねない個人的重大インシデントとなり得る。他人から見てそれがつまらないものであったとしてもだ。だからこそ、日本国憲法においても21条2項後段で通信の秘密が定められている。検閲は、これをしてはならなず、通信の秘密は、これを侵してはならないのである。
だがしかし、通信の秘密は最早風前の灯火と言っていい。アメリカには通信の秘密を規定した憲法も法律もなく、エドワード・スノーデンがNSAのPrism計画について暴露したのは記憶に新しい。日本で大流行のLINEが韓国情報機関に傍受されていると月刊情報誌のFACTAが報じたこともあった。日本の憲法が通信の秘密を侵しちゃいけないと定めても、その効力は日本国内限定であり、インターネットはワールドワイドだ。多国籍企業は国境を悠々と超える。憲法に縛られた日本でも通信の秘密がちゃんと守られているかどうかは誰も確かめようがない。正当業務と認められれば通信の秘密を侵しても違法ではないと言う判決もある。セキュリティーの確保もままならならず、大した議論もないままマイナンバー制の導入が決まるなど、国民に対する監視の目は強まるばかりだ。
こんな状況の日本のインターネットにおいて匿名で情報を発信するのは不可能に近い。ユーザー登録も何も必要ない2ちゃんねるが匿名掲示板だからといっても、過激な発言をすればすぐに捜査当局がやってきてお縄になる。Twitterなどハンドルネームだけで利用できるサービスについても同様だ。捜査当局がIPアドレスを以てインターネット接続サービス業者に情報の開示を求めれば、業者は情報の開示を拒むことができない。結果、その時間にそのIPが割り振られていたのはどの契約者かが割り出され、その周辺を捜査することで発信者が特定される。尖閣諸島での中国船体当たり動画をYoutubeに公開した一色さんも、ネットカフェからの投稿であったが結局のところあっさりと個人が特定されている。
インターネットを通じて通信すると言う事は、はがきをポストに投函するがごとく、読みたいと思った人がいれば読まれてしまう状態で行われているものだと自覚して通信を行う必要がありそうだ。通信を覗かれるのを嫌がってVPNを提供するサービスを利用している人も多いだろう。業者のサーバーとの間でVPNを張り、通信を暗号化しようという試みだ。しかし業者が提供するVPN接続サービスはあまり意味が無い。業者にはその通信が丸見えだからだ。最近のandroidでVPNの設定をすると、VPN業者にはあなたの通信は丸見えだ、という旨の警告が表示されるようになった。中国のグレートファイアーウォールをすり抜けるというような、自国の厳しいネット規制をかいくぐって外国の通信と見せかける以外の使い道は無いと言っていい。
共同謀議論的な話をすれば、いくら暗号化をして通信しても、その暗号は数理的に既に解法が見つかってしまっている可能性は否定できない。解法が見つかっても公開されず見つけた人がニヤニヤしながら人の暗号を解除するのに便利に使っているかもしれない。暗号を開発する人たちは、自分が作った暗号に関しては自分だけが自由に解読できるマスターキーのようなバックドアを仕掛けているものだという話もまことしやかにささやかれる。
小型TorルーターAnonaboxの登場
そこで、NSAでもまだ発信者を特定できないと言われているのがTorだ。Torは通信を暗号化するわけではなく、オニオンルーティングと呼ばれる仕組みでTorネットワークないをたらいまわしにすることで発信元を秘匿する。匿名のプロキシサーバーをたくさん経由して通信する多段串のようなものらしい。よって通信の内容はバレバレだが、それをだれが発信したのか分からなくなるという。これは内部告発などにはもってこいではないか。通信の内容は広く周知したいが、自分が告発したとばれたら社会的な死人となってしまう、という場合に使えるだろう。あの時代にTorがあれば一色さんは逃げおおせたかもしれない。そんな強力な発信元秘匿ツールとしてのTorだが、設定がいささか専門的で、適切に設定しなければ意味をなさない。インストールするだけで誰でも適切にTorが使えるTorBrowserと言う物も存在するが、これはWebブラウザーだけにしかTorネットワークが使用されないのでその他のソフトウェアによる通信は生のままとなる。
そんな悩みを一気に解決するツールとして颯爽とクラウドファウンディングに現れたのがAnonaboxだ。これは、WAN側のネットワークインターフェースにインターネット通信が可能なLANにつながったLANケーブルを接続することで、AnonaboxのLAN側インターフェースにLANケーブルでつないだ機器や、AnonaboxをアクセスポイントとしたWi-Fiで接続した機器をすべてTor経由でインターネット通信でができるようにしてしまう小型ルーターである。Anonaboxを経由して行われるインターネット通信はすべてTorにより発信元が秘匿される。はじめはKickstarterで出品されていたが、すでに同じような製品が中国で発売されているとして出品停止となり、おなじクラウドファウンディングサービスのIndiegogoで改めてプロジェクトが進行していた。今は自前の公式Webサイトを立ち上げてそこで販売されている。これを入手して試してみた顛末をこれから述べようと思う。
小型TorルーターAnonabox開封の儀
アメリカから到着したAnonaboxの開封の儀を厳かに行ってみよう。
アメリカンで雑な包装である。熱で溶かすビニール包装だが、熱しすぎて焦げている。
内容物はこのような感じ。説明書と、Wi-Fiのパスフレーズが書かれたステッカーと、USBケーブル、Anonaboxオリジナルステッカーが入っている。
WAN側のインターフェースと電源供給用のmicroUSBケーブル差込口が見える。こちら側にインターネットにつながったネットワークをつなぐ。左側面にはアクセスランプがある。
反対側にはLAN側インターフェースはある。こちら側に使用するPCなどの機器をつなぐ。
上にはanonaboxのロゴマークがみえる。真っ白な筐体である。
Anonaboxを使ってみる
試しに、PCとルーターの間にかませてみる。
まず、Windows7のノートPCをAnonaboxのLANポートにLANケーブルで繋いでみた。ノートPC側はDHCPでIPアドレスを自動取得するように設定しておく。他の通信をしないようにWi-Fi等も切っておいた。すると、難なくTor経由で通信できた。Tor Checkも成功し、ちゃんとTor接続できているようだ。続いて、有線LANを抜染し、Wi-Fiによる接続を試みた。SSIDは”anonabox”に固定で変えることができない。さらに、パスワードも、箱に入っていたステッカーに書かれた文字列から変更することができない。Anonaboxでは設定をいじくるためのインターフェースは一切提供されていないのだ。手軽ではあるが少し物足りなくセキュリティーへの不安も残る。しかし、Wi-Fiからの接続も問題なく、Tor通信ができるようになった。ついでにUbuntuの端末でも試してみたが、これもあっさりとつながった。
最後に試したWindows8.1で問題は起きた。なぜか名前解決に失敗するのである。IPアドレスで直接通信はできるが、名前解決に失敗し、不便な事この上ない状態になってしまった。これをAnonaboxのサポートに連絡してみたところ、日本での事例であると言う所にとても興味を持ってもらい、修正版のプロトタイプと交換してくれると言う事になった。それで届いたのがこちらである。
真っ黒な筐体である。
色が黒い以外に外見に変わったところは無い。相変わらず設定用のインターフェースは用意されておらず、Wi-FiのパスワードもSSIDも変更不可である。同梱されていたケーブル類も最初の物と変わりなかった。これで試してみたところ、Windows8.1でも問題なく通信ができるようになった。サポートによると、2015年6月中にはFANTOMという名前の次期バージョンが発売され、設定変更用のインターフェースが提供される予定だとのことだった。
ためしにしばらくWebサイトをいろいろ回ってみたが、Torはオニオンルーティングによってころころと経由するIPアドレスが変わるため、googleなどサイトではbotでないことを証明するように要求する画面が表示されたりした。Tor対策がなされているサイトではIPがコロコロ変わるクライアントからの接続ははじかれることがあるようだ。
Anonaboxの使い道
TorもいまのところNSAでも突破できない匿名性を提供すると言われているが、これからはどうなるかわからない。活発に開発が行われておりバージョンアップもこまめではあるが動向には注目が必要だろう。Anonaboxのファームウェアはopenwrtsrcを基に作られており、GitHubでソースが公開されている。
今現在はファームウェアの書き換え手順は公式からは提供されていないがWeb上からアップデートされるとFAQには書いてあった。これから内部告発をおこなおうとしている人には強力なツールであり続けることを期待したい。日本でもTorからのみ接続可能なオニオンサイトの内部告発サイトがオープンしている。
Tor対策をされたサイトではじかれまくるので日常的なWebブラウジングには向いていないが、世に暴きたい悪をご存じの方は、是非購入を検討してみてはいかがだろうか。