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映画評
2020-01-25 18:29 by 仁伯爵

この記事は、映画メイドインアビス~深き魂の黎明~とメイドインアビスの原作漫画8巻までの内容について重大なネタバレを含んでいます。 映画メイドインアビス~深き魂の黎明~ と原作漫画をご鑑賞なさった後でお読みいただくことを強く推奨いたします。

深く潜る物語

メイド・イン・アビス~深き魂の黎明~を見てきた。メイドインアビスは、つくしあきひと作のファンタジー漫画で、2017年にTVアニメ化され、先立ってTVシリーズの総集編の劇場版2作が公開されており、今作はその続き、原作漫画では第四巻から第五巻のあたりのエピソードが映画化されている。この物語は、南海の孤島で発見された観測不能のアビスと呼ばれる大穴の探索に挑む探窟家たちのお話である。TVシリーズでは地上の主人公一行がベルチェロ孤児院を抜け出してアビスの深界一層から深界四層まで、今回の劇場版では深界五層を抜けて深界六層へ旅立つところまでが描かれた。深界六層での冒険はTVシリーズ第2期の製作が決定している。最初のTVシリーズの時から劇場版並みのハイクオリティーで話題を呼んだ。内容は原作物のTVシリーズ化にありがちな原作の魅力を台無しにするオリジナル要素はほとんどなく、原作の魅力を見事にプラスする形で動きや音楽、色が加えられている。漫画で見た凶悪なアビスの動植物たちが動き回り、遺物が動作し、壮大な風景が音とともに広がる。ファンの求める完ぺきな映像化であると言える。今作もその期待を裏切らず、原作ファンにとっては待ちに待ったボンドルドの登場ということもあり、観た者すべてに何かを語りたいと思わせるそんな力のある物語となっている。そしてナナチは本当に可愛い。

アビスと探窟家

アビスには深く潜るほど人知を超えた強力な遺物と、貴重で凶悪な原生生物の動植物が住む過酷な環境が待ち構えている。その他にも、引き返そうと上昇すると上昇負荷と呼ばれるアビスの呪いが設定されている。 深界一層では軽いめまいと吐き気、 深界二層では重い吐き気、頭痛、末端のしびれ、 深界三層では平衡感覚に異常、幻覚や幻聴、 深界四層では全身に激痛、穴という穴からの出血、 深界五層では全感覚の喪失、それに伴う意識混濁、自傷行為、 深界六層では人間性の喪失、もしくは死、 深界七層では確実な死が上昇負荷として課せられる。

それゆえに、深層と地上を行き来する白笛は特別な存在として尊敬を集める。強靭な肉体と様々な遺物で武装した白笛を以てしても、通常の手段では深界六層へ一度降りると人間の形のまま地上へ戻ることは叶わないので 深界五層から 深界六層へ潜る行為は、絶介行(ラストダイブ)と呼ばれ特別な意味を持つ。

アビスの呪いがあるために、経済的利益は深層に潜る動機になりにくい。いくら膨大な価値を持つ遺物や原生生物などの成果を手に入れても人のまま戻れない深界六層より下へは 特に経済的な目的ではいく意味がない。アビスをネタに金稼ぎをしたければ、 深界三層までを探窟するか、地上の街で探窟家たちが持ち帰る成果を買い取って商いをする方が理にかなっている。ベルチェロ孤児院のナットは将来は探窟で財を成して自分で孤児院を経営することを目標としていた。よって彼は引き返せるところまでしか潜ることができない。深層に潜るには、経済的目的ではない動機が必要になる。 ロマンである。

相似形の世界

絵描きでも、エンジニアでも、アーティストでも、アスリートでも、どんな分野でも人は人並外れた能力を発揮する第一人者に憧れて、自分もそこに到達したいと願い、その先に行きたいと望む。にもかかわらず、ほとんどの人はそのような境地へ到達することはない。そういった境地に到達するには、一般的に才能と努力と運が必要だとされる。だが実際にはそれでは足りない。

各分野におけるトップランナーのインタビュー記事を読んだ時、または職場で絶対にこの人には勝てる気がしないと思うような人の話を聞いた時、その考え方や行動が独特であると感じることがある。彼らは、なんでそうなるんだ、と言いたくなるような考え方をサラッと述べたり、常識的な判断からはそれた行動をさも当然のよう行ったりする。常識外れであるから常識的な行動しかとらない人が到達できない境地まで到達でき、凡人が到達できない境地に居て常人には見えていないものが見えた状態で最善を探るのでさらに一般の常識から外れてしまう。高みへ登れば登るほど常人からは理解されない存在となる。それはアビスに潜るのによく似ている。深く潜れば潜るほど、深い知識や高い能力を要求され人間性さえも喪失していく。人であることを保ったまま深く潜るには引き返さずに突き進むしかない。常人の世界を顧みていったり来たりするほどに深い傷を負うことになってしまう。

ボンドルドが 精神隷属機(ゾアホリック)によって作られた自分の複製は精神性が生命として認識されないためにヒトであった一番最初の自分自身を白笛を作るための供物にした事と、 カードリッジの制作方法にたどり着いた経緯をリコが喝破した時、ボンドルドはリコに対して、「君は私が思っているよりずっとこちら側なのかもしれませんね」と発言した。この映画の後の話になるが、深界六層のイルぷるの村でリコ自らも、地上のオースの街にいた時よりも自分に似たヒトがすごく多いと言っている。深界六層に自らの意志で潜りたいと願い実行できてしまうような人間には共通点がある。世界をありのままにとらえることが人の世の理よりも上位にある。子供ながらにリコも例外ではない。

加えて深界六層に潜るには、確固たる意志をもってすべてを捧げて白笛の原材料になる献身的な犠牲者が必要となる。才能と努力を以って人の理を離れるだけでもまだ足りず、確固たる意志を以って身を捧げてくれる協力者が必要となるのである。突出した傑物はけっして自分単独では傑物足りえない。

深界六層までたどり着いてもまだそこはゴールではない。世界のありのままの形に抱いたあこがれが絶望に代わった時、探窟家は成れ果てとなる。ナナチはかつてボンドルドの実験によって絶望のどん底に陥れられたが、マジカジャの言によるとミーティの強い欲によって守られ、ちゃんと命を保持している。成れ果てと探窟家の間にいる存在である。

碌で無しによる黎明

ボンドルドは、成果のためには手段を選ばないという言い回しを実際に行ったらどうなるかを体現したような人物である。人体実験は言うに及ばず、アビスの呪いを肩代わりさせる装置であるカードリッジに使用する為、貧しい子供を海外から連れてきたり数々の違法行為を行っているため、海外では罪状不明の指名手配をされている。さらに連れてきた子供たちを最低限の生命維持に必要な部位だけ残して箱に詰めるという常人には考え難い行為を平然と行っている。アビスの呪いを肩代わりさせるためには、箱に詰めた子供たちがボンドルドの力になることを願っている必要があるため、ボンドルドは彼らを愛情を以って育て、子供たちから愛されたうえで解体している。常人ならば思いついたとしても絶対に実行できない。

そのような人道にもとる行為を平然と行うことで、ボンドルドは確実に成果を残している。ハボさんによると、高々10年そこいらで不可侵ルートを開拓し、深層で活動できる拠点を確保し、クオンガタリの駆除を行ったり、停滞していた探窟技術を二つ飛びで推し進め、その功績は華々しい。奈落の呪いの影に隠れた祝福に着目できていたのはここまでの物語を通してボンドルドだけである。ナナチが高度な医療知識を持っているのも、ボンドルドの下で通常なら許されないであろう作業を手伝っていたからだ。ボンドルドは快楽のために残虐な行動をとっているわけではない。目指す成果の手段が倫理的に許されるかどうかという判断を挟むという発想がない。ゆえに葛藤している様子もない。

ボンドルドは目的達成のために、環境を破壊したり他人を害することに躊躇が無い。自分自身ですら命を響く石(ユアワーズ)の原料としている。その一方で、人体実験で成れ果てにしたりカードリッジにした子供たちの名前とその人格を全部覚えている。奈落の呪いを肩代わりさせるためには、カードリッジにした子供とボンドルドの間に相互に愛情が通じていなければ奈落の祝福を受けることはできない。ボンドルドが子供たちを可愛いと言い、カードリッジが限界を迎えた後に素晴らしい冒険でしたねと言うのは皮肉ではなく本気で言っている。ボンドルドの中では、恵まれない貧しい子供を冒険に誘って愛情を以って接し、ともに楽しい冒険をしたと本気で思っているに違いない。ボンドルドと刺し違えるつもりだったというナナチに対し、そうならなくてよかったと言うのも深い慈しみの心から出た言葉であろう。見解の対立があり両立が難しいためぶつかる事は仕方ないと考えてはいるが、共倒れは望んでいない。最終的にどちらかが先にすすめばよく、そんな対立すら黎明の為に必要でぶつかりあえることに喜びを感じてさえいる様子がうかがえる。

祈手(アンブラハンズ)とカードリッジ

祈手(アンブラハンズ)は、ボンドルド自身の複製だが、ボンドルドを物理的にコピーしているわけではない。精神隷属機(ゾアホリック)によって洗脳し精神を乗っ取るという手段で自分を増やしている。そのため祈手は個体によって能力差があり、激しい戦闘に耐えうる強い個体は少数で、映画には出てこなかったが原作漫画には、祈手のなりそこないたちが糞尿を垂れ流しながら単純作業に従事している姿が登場し、ゾアホリックが百発百中で自分をいくらでもコピーできる便利アイテムではないことが描写されている。祈手もカードリッジと同様に他人を犠牲にして成り立っている。

倫理観を欠いたカリスマが他人を使い捨てにすることで目覚ましい成果を上げるという構図は今更語るまでもなくこの社会のそこかしこに存在している。世界的に有名なアニメ映画の監督がボンドルドなら、使い捨てにされたアニメーターはカードリッジにされた子供たちだ。アニメスタジオにはボンドルドとして戦える監督は少数で、彼らが引退した後の後継者候補とされながらも、凡庸な作品しか作れなかった面々は祈手(アンブラハンズ)に相当すると言える。その他にも、苛烈な残業で体や精神を壊すシステムエンジニアとカリスマに率いられたベンチャー企業、有名プロデューサーに率いられたアイドルグループ群、人材派遣会社と保障のない派遣社員など、この構図に当てはまるケースは枚挙にいとまがなく汎用的であると言える。にもかかわらず、現実世界のリーダーたちはボンドルド並みに倫理を欠いているのは珍しくないという共通点は持ちつつも、ボンドルドほど優秀でも魅力的でもないという現実が、ボンドルドをメイドインアビスという物語の登場人物の中でも屈指の人気キャラクターたらしめている。倫理観を欠いているという点を除けば、紳士的で有能で意見の対立に私情をはさまず深い愛をもったボンドルドは完璧なリーダー像であると言っていい。プルシュカが二度も自我を失いながらも魂の深い所から帰ってきたのは、ボンドルドの嘘偽りのない愛情があったからだ。最終的に解体して箱に詰めたという行いを除けば理想の父親像そのものでもある。

人間らしくあろうとする人間の皮をかぶった何か

精神隷属機(ゾアホリック)は手にしたとたん使い方が植え付けられて使用する誘惑から逃れがたくなってしまう。使用者は意識の分裂に耐えられず、最後に意識が霧散して廃人となってしまう。ボンドルドも自分の複製を増やしていくに従い人ではない存在に変質してしまっている。(原作4巻のワンポイントナナチより)精神性が人ではないためカードリッジとしては使用できず、人であったころの自分は白笛にしてしまっている。 黒笛のハボさんはボンドルドを見た時の印象は他のどの白笛とも違い、「得体のしれない何かが仮面かぶってヒトのまねごとをしているんだ」と語る。

リコが一番成長していますよね。ボンドルドは人であった頃の色々を、何とか真似してそうありたいとしていると思うんですけど、リコは素のままでそれを持っていて、そのリコが持つ素の部分がお芝居でちゃんと出てきていたので「あぁ、良い!」ってなりました(笑)。

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上記のように作者が語る通り、ボンドルドは人であったころの人間性を模して何とか人として振る舞っている。ボンドルドの優しさも、紳士的な態度も、薄くなってしまった人間性をもとに、人間性ってこういう事だろうと理屈で考えて振る舞った結果だ。それはオタクじゃない人間がオタクを装ったり、金持ちが貧乏人を装ったり、その逆だったり、自身の属性とは違うものを想像力の範囲内で演じたものに対して感じる気持ち悪さと同種の不気味さを持つ。似てるけどどこか明らかに違うものに対する怖さである。子供たちの人格と名前を憶えているのも、カードリッジにした子供たちに「楽しい冒険でしたね」と語りかけるのも、度重なる複製の果てに人間性を見失ってしまった彼が思う人間性の形だ。故に、彼は本気で楽しい冒険をしたと考えている。それが人間らしい在り方だと確信している。人間性をまだ喪失していない我々が思う人間性と彼の考えた人間性との間には、一部で整合しながらも一部ではあり得ない乖離を見せる。あんなに紳士的な態度をとるのに全く話が通じない、なにを考えているのかわからない、それでいて目覚ましい成果を上げる。その分かり合えなさがボンドルドの不気味さ、恐ろしさの正体ではなかろうか。

そんな姿に慣れ果ててしまっているボンドルドに残された最後の人間らしさが探求心だ。アビスの呪いや遺物を分析して前に進もうとする行いは実に人間らしい。リコもボンドルドに対して憤りながらも「ロマンは分るよ」と理解を示す。ぬるぬるしたレグの攻撃に巻き込まれそうになったナナチをボンドルドは声を荒げて制止する。彼は複製の果てに人間性を喪失しながらも唯一の成功例であるナナチの身は案じることができるのだ。プルシュカのカードリッジを犠牲にしてアビスの祝福を自分で得ることができた時にも感嘆の声をあげる。彼は自分の探求心の周りにある出来事には人間らしさが残る。

探求心の部分を残して人間性を喪失しているボンドルドの姿は、アビスの呪いで人間性を喪失しつつある姿と大差がない。探求によって上昇負荷をある程度回避したものの、上昇負荷とは別の罠で人間性を喪失しており、アビスの呪いからは逃れることができていない姿が描写されているように思われる。

愛娘の想いを…あんな形にしていい理由など!!あってたまるか!!!

いくらボンドルドが魅力的なカリスマに見えても、現実社会の中で躊躇なく他人を使い捨てにできる人間やシステムを頻繁に目にしたりその中に身をおいたりした経験のある我々は、ボンドルドの行いに激しい憤りを感じずにはいられない。人体を解体していたり、レグの右手を切断したりしたショッキングな描写はその感情を浮き立たせる仕掛けに過ぎない。だからこそ、レグの「愛娘の想いを…あんな形にしていい理由など!!あってたまるか!!!」というセリフが重く響く。アビスのルールを根底からひっくり返す可能性を秘めた存在であるレグによって放たれることにでこのどうしようもなくグロテスクな物語に救いが生まれる。

レグは特級遺物をもしのぐ奈落の至宝(オーバード)であるとされている。アビスのルールを書き換えると度々言及されてきた。 火葬砲は当たった物の価値ごと吹き飛ばす。アビスの呪いの影響を受けない体を持ち、単独で深界六層から地上のオースの街へ登ってきた実績がある。監視基地(シーカーキャンプ)で不動卿動かざるオーゼンが語ったように、子供の姿で簡単にアビスの底に行って帰ってこられるとなると、遺物の価値もアビスの信仰も足元から揺らぎかねない。オーゼンは子供だましをしない。処分するつもりこそなかったが、語った内容は真実であろう。オーバードが遺物目録に載っていないのは、存在してはいけないと考える者によって秘匿されている可能性が高いと考えるのが妥当だ。現状で成功を収めているものにとって、勝っているゲームのルールを変更されるのは脅威にほかならない。

呪いと祝福

ナナチとミーティはボンドルドの実験によって深層五層と六層を往復させられてアビスの呪いをその身に受けた。実験の内容は魂でつながった複数の人間を同時にアビスの呪いにさらすことによって、呪いの影響を一方に偏在させて回避する方法を探る実験であったと考えられる。その実験の中でボンドルドはアビスの呪いが人体に及ぼす影響を詳細に分析したに違いない。探窟家の間に伝わっている深界六層の上昇負荷の内容は、人間性の喪失、あるいは死だった。死なずに済めば人間性を喪失し、獣の姿になってしまう。人の姿から獣の姿への変化を詳細にみると、利用価値のある変化と、デメリットでしかない変化に分けられる。通常、人が知性を失って獣の姿になったらそれは呪いであると結論付けて終わってしまいそうなところを、ボンドルドは事実だけにフォーカスしその先を探る。

ミーティは知性を失い、移動もままならない姿に変化していたが何をしても死なない本物の不死を手に入れていた。ナナチは獣の姿にこそなったが、知性を保ったまま自由に動き回れて手先も器用につかえた。加えてアビスの力場を目視できる能力を獲得していて、さらに体中からいい匂いがする。レグも事あるごとにナナチのいい匂いに言及して嗅ぎに行くし、六層では度々いい匂いのモフモフやいい匂いのナナチなどと呼ばれる。不死になったことを不死の呪いととらえれば、ミーティがアビスの呪いを引き受け、ナナチがアビスの祝福を受けたと言える。

深界六層は精神や願いが形を取りやすい世界であると言われている。ミーティとナナチの願いがそれぞれ相手に作用した。ミーティは「自分が人間じゃなくなったら魂がナナチのところに戻るように殺してほしい」と願った。その願いはナナチが人間性を保持して生存していることが前提だ。ナナチは悲惨で報われなかった人生の中でミーティという「せっかく見つけた宝物をどうか奪わないで」と願った。結果、ナナチはアビスでの生存に適した姿となり、ミーティは不死となった。

ボンドルドの箱庭には、実験に使われたのであろう子供たちの不死の成れ果てが多数放置されていた。決死隊ガンジャが深界六層にたどり着けたのは祭壇に不死の獣になった白笛がいて、祭壇がたまたま機能していたからだった。おそらく、ミーティのように不死になるのは珍しいことではないのだろう。六層の呪いの激痛の中で、自身の生存を願うのは普通の事だと思われるからだ。ナナチが唯一の成功例であったのは、ミーティの魂がナナチのもとへ還るように殺してほしいという願いが、知性を保持したままナナチが生存することを前提としていたからだと考えられる。

ボンドルドはカードリッジに呪いを肩代わりさせる方法は編み出していたが、祝福を受け取るには至っていなかった。そのため、アビスの呪いによって自我を失いながら二度にわたって意識を取り戻し、祈手の成りそこないに手作りの黒笛を感謝のメッセージと共に送るほどに健やかな精神性を以って成長しているプルシュカを愛情を以って育て確固たる親子の絆を築いたうえでカードリッジにして、最終的にナナチと同じアビスの祝福を受けるに至った。プルシュカはカードリッジにされ六層の呪いを受けながらなお、ボンドルドとリコたちが仲直りすることを願っていた。「仲直りしてほしい」というその願いには「みんなで冒険をするんだから」という前提があった。 命を響く石(ユアワーズ)になったプルシュカをリコが扱うことができたのは、プルシュカの願いがボンドルドとリコを含めみんなで冒険をすることだったからだろう。レグとボンドルドの激しい戦いや、プルシュカが解体される残酷なシーンの後ろで優しいエモーショナルな音楽が流れていたのは、物語の主題が激しい戦闘やグロい表現にあるのではなく、深い魂を持ったプルシュカの想いがもたらした夜明け、黎明にこそあるからだ。ミーティで描かれた祝福がプルシュカでリフレインしている。冒険を続ける碌で無したちに使い捨てにされながら深い精神性を失わない彼女たちの在り方にこそ重きが置かれている。

冒険と成れ果てと奈落のルール

これだけの酷い目にあいながらリコは冒険を辞めて引き返すという考えが全くない。レグの目的は無くした記憶を取り戻し自分が何者か知ることだが、今のところ彼の行動のすべてはリコを守る事に注がれている。ナナチはミーティを葬ったあとにリコたちの冒険に同行するが、成れ果てなので冒険を辞めるという選択肢をいつも持っている。今回もボンドルドの手伝いとして 前線基地(イドフロント)に残るからリコとレグに手を出さないでくれとボンドルドと取引をして一旦は冒険を降りる決断をしている。ボンドルドとの戦いでも心が折れそうになりながら、リコとレグをみて、こいつらが諦める前に折れるわけにはいかないという動機で持ち直す。イルぷるでもミーティの完全な複製を手に入れるために自分自身を売り渡して冒険を辞めてしまう。ナナチはリコがいないと冒険の継続ができない。深界六層で冒険をあきらめると成れ果てになってしまう。

アビスは冒険を継続することを強要するが、冒険の継続には犠牲を捧げることをルールとして課しているように見える。だがイルぷるの価値にまつわるルールも、アビスの呪いにまつわるルールも、自然の摂理ではなく人の意図によって課せられたもののように思える。2000年に一度発生するお祈り骸骨の大群も何者かの意図によって引き起こされているのだろう。この先はきっと白笛を得てデコメガネ卿となったリコの決断によってレグがそのルールを書き換え、ナナチの目を通してボンドルドに伝わり、 それにまつわるゲームチェンジの影響はシーカーキャンプのオーゼンや地上のハボさんらによって対処が成されるか、もしくはアビスの生物が地上に出て、地上世界すべてが冒険の対象になるのだろう。現在ラストダイブを行っている白笛は殲滅卿殲滅のライザ、先導卿選ばれしワクナ、神秘卿神秘のスラージョの3人だ。その中には、オーバードの隠匿を行っている勢力と志を同じくし、レグが行うルールの変更を阻む者がいてリコたちとぶつかることになるのかもしれない。

いままでの物語の中では深界七層までしか言及がない。七層で目撃されたという不思議な輪、奈落の底に至る道に住むという門番、それらを越えた先に深界八層があるのか、七層で終わるのか、物語の終わりはまだ見えない。過酷すぎる物語故にこの映画はR15指定になってしまっているが、子供にこそ見てほしいそんな物語である。観る来場特典として本編の前に上映されるマルルクちゃんの日常は、週替わり特典となっているようなので、毎週見に行くとマルルクちゃんとオーゼンのいろんな表情を見ることができ幸せになれるかもしれない。毎週、 映画を通して深界五層の最深部をうろつくことで人間性を喪失する危険を許容できればの話だが。どうか皆様の旅路に溢れんばかりの呪いと祝福を。そして、ナナチは本当に可愛い。皆様はどのようにご覧になったであろうか。

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