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映画評
2014-08-27 1:12 by 仁伯爵

真実の愛を探す物語

今月も終わりに近づいているが、見ただけでブログ記事に書いてない映画がたくさんあるので、それを映画強化月間と称して少しずつ記事にしていこうと思う。まず手始めに、「アナと雪の女王」について書いてみたい。私の身の回りでは「アナと雪の女王」を見てきた女性はことごとくこの映画を大絶賛する。それほどまでに素晴らしいのならばと、とある用事のついでに見てきたのだ。

「アナと雪の女王」は、アンデルセン童話の「雪の女王」をモチーフに再構成された物語だ。アンデルセンの「雪の女王」では、雪の女王は少年を拉致するミステリアスな悪役であり、拉致された少年を幼馴染の少女が救うという物語である。対して、今回の「アナと雪の女王」は、特殊な魔法の力を持ってしまったがために問題を抱える厳格な姉エルサと、オープンな妹アナが「真実の愛」を以て問題を解決する物語である。クリス・バックとジェニファー・リーのダブル監督が描く、エルサとアナのダブルヒロインを中心とするお話だ。「雪の女王」のような悪vs善の物語ではなく、ダブル監督の一人で脚本も担当するジェニファー・リーによると、「恐れ」vs「愛」の物語となっている。(劇場パンフレットP.12より)

異色のディズニープリンセス

なぜこれほどまでに女性に支持されるのかと言えば、やはりこれが女性による女性をターゲットにした物語だからだろう。制作のピーター・デル・ヴェッチョはパンフレットのインタビューで以下のように語っている。

「僕はいつも、男性、女性、両方が共感できるキャラクターを作り上げようとしている。この映画にしても、男性も魅力を感じ女性にインスピレーションを与えるようなキャラクターを創造したかった。」
(劇場パンフレットP.21)

つまり、各キャラクターは男性から見ると魅力的だと感じるだけだが、女性が見ればインスピレーションを与えられてしまうのだ。さらに言うと、男女両方が共感できるのはキャラクターであり、物語そのものではないとも読める。

この作品は、白雪姫やシンデレラと言った明確に女性をターゲットにしたディズニープリンセスの系列につらなる作品である。おおざっぱに言って今までのお姫様と王子様の物語は、お姫様が悪役によって困難に陥れられて、王子様がそれを救い、幸せなキスをして終劇というパターンであった。しかしながら、「アナと雪の女王」では今までのパターンを覆す要素がいくつも仕掛けられている。

残念な男たち

まず、ヒロインの一人であるアナのお相手役になり得る王子様として登場するハンス王子が、王子様としての役割を果たさないどころか悪者になってしまう。さらに、悪役であるハンス王子とウェーゼルトン公爵は悪者ではあるものの、クライマックスで対決するほどの大物ではない。事態を引っ掻き回すが、あくまでも解決すべき問題として提示され続けるのはエルサの暴走した力である。主人公vs悪の戦いではなく、主人公の中の「恐れ」vs「愛」の戦いなのだ。エルサが「恐れ」によってひき起こした問題をエルサが「愛」によって解決して終わるのだ。その物語の中で終始男たちは蚊帳の外の小物としてぞんざいに扱われる。

そして、偽りのヒーローたるハンス王子に代わる真のヒーローとして配置されているクリストフは、王子様とは程遠く、トロールたちから「彼は完璧じゃない、問題もある」「不潔なわけじゃないけどちょっと臭い」と高らかに歌い上げられている。クリストフとアナがともに旅をして親しくなっていくのはハンス王子の悪事がばれる前、まだアナとハンス王子の婚約が生きていた時点だ。アナはハンス王子とクリストフとの両方の間で良好な関係を築いて楽しんでいる。その上、クライマックスで氷になってしまったアナにクリストフが一生懸命駆け寄るカットが丁寧に取り上げられていながら、彼はアナのピンチに間に合わない。これまで通りならお姫様と王子様の間で「真実の愛」が確かめられるはずのシーンで、「真実の愛」を確かめたのは男女の愛ではなく、姉妹の家族愛であった。平和になったアレンデール王国でも、クリストフはアナと結婚して王子になるどころか、城の外におり、アナから新車を与えられて喜んでいる。今までの王子様とは扱いがあまりに違う。

女性による女性のための物語

この物語で一番の見せ場と言えばやはりエルサが山にこもり、雪の女王になるべく歌いながら氷の宮殿を建設するシーンだろう。この映画を見たことが無い人でも、映画の宣伝として他の映画が始まる前に幾度となく惜しみなく流されていたあの約4分の場面は目にしたことがあるだろう。

あのシーンに開放感を感じた女性は多かったはずである。頑張って守っていたものが台無しになってしまい、自分がいなくなることで問題の解決を図るという破滅的行動だが、同時に山にこもることにより今まで自分を抑圧してきた外界のすべてのわずらわしさから解放されていく。だれもがやりたくてもできない事だ。何もかも投げ出してしまいたいと言う衝動に駆られても、実際にそうすることができる人は少ない。もしくは、自分がすべての元凶のように感じられ、この場からすべてを捨てて立ち去りたいと思っても、それを実行に移す人はいつの世も少数派だ。エルサはそれをこの上なく美しく、悲しく、エレガントにやってのける。だれもがそれを見て私の物語だと思ったことであろう。
勿論、山にこもることで問題が解決するわけではなく、氷の宮殿からエルサは連れ戻されてしまうわけだが、ラストシーンの大団円よりも、氷の宮殿建設の場面で涙した人の方が多いのではないだろうか。

全方位的にタイムリーな物語

氷の宮殿建設のシーンのように、この物語はあらゆる立場の女性がこれは自分の物語だと思えるように作ってあるように感じられた。エルサとアナの愛の物語だと言う所だけに注目すれば、同性愛者の物語になる。オラフをエルサの子供だと思えば、シングルマザーの物語となる。ハンス王子に騙されるアナにフォーカスすれば、未だ運命の相手に巡り合えない独身女性の物語となる。アナとクリストフの関係をみれば白馬の王子様ではないけれど一緒にいて楽しい相手と交際しているカップルの物語となる。

宮殿のシーン以前にも幼少の頃のエピソードや、トロールや幼少のクリストフ、オラフ一号のチラ見せ、両親の死など、きめ細かな仕掛けを打っておいた上で、万人に訴求する宮殿建設のシーンでがっちりと観客をつかみ、その後細分化していく。万人に訴求する物語を最後まで行うと話が薄くなってしまう。細分化を行うことで皆が深く自分の物語として深く入り込むことができるようになる。観客は宮殿のシーンで心をがっしりと掴まれているので細分化の段階では自身の置かれた状況と少々の食い違いがあっても、「アナと雪の女王」の物語が自分の物語を暗喩していると信じて疑わない状況が出来上がっている。この物語の楽しみ方は、この流れに乗ってしまうことだ
初の女性監督であり、脚本も担当しているジェニファー・リーは「時代を超越したストーリーだけど、タイムリーな映画を作りたかった。」(劇場パンフレットP.12)と語っている。まさに、見る女性すべてがこれは私の物語だと思うタイムリーな物語として作られているのだ。

予見された危機を回避する

この映画をカップルや男女のペアで見に行くときには、注意が必要だろう。男女の間でリアクションが大きく異なることは覚悟すべきだ。女性が感動している横で男性が冷めていたら、破局もあり得る事態である。それほどの危険をはらんだ作品だ。やはり私はMay.Jよりも松たか子の歌の方が好きだ。皆さんはどのようにご覧になっただろうか。

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