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書評
2017-09-13 1:38 by 仁伯爵

オランダから吹く風

 ルトガー・ブレグマン著「隷属なき道」を読んだ。この本はオランダの新興WebメディアであるDe Correspondent(デ・コレスポンデント)が発行する初の書籍としてまずオランダで出版され、それが英訳されてアマゾンで世界中に売り出されたものが日本語に翻訳されたものであるらしい。オランダ語版のタイトルは、「Gratis geld voor iedereen,En nog vijf grote ideeën die de wereld kunnen veranderen」(全ての人のための無償のお金、そして世界を変える5つの素晴らしいアイデア)、英語版のタイトルは、「Utopia for Realists: How We Can Get There 」(リアリストのためのユートピア:そしていかにして我々はそこへ到達しえるか)である。日本語版は「隷属なき道 AIとの競争に勝つベーシックインカムと一日三時間労働」とあるのでAIに関する書籍かと思ったが、AIに関する記述はあまりなくAIがもたらす技術的進歩の加速に社会が対応するにはどのような道があるのかが論じられた本である。日本で日々報じられているような、経済的な行き詰まりや、リベラルの凋落、経済格差の拡大、少子高齢化、人口減少、それらに起因する社会不安の増大は世界的に先進各国に共通した問題となっている。そしてその不安定な状況を決定的に改善できた国は今のところ皆無である。金融資本主義が金融危機で継続不能だと証明されてもいまだ健在である。リーマンショック直後にはあんなにしょんぼりしていた面々が何の対応策も打たずに金融危機以前と同じ仕組みを継続して運用している。民主的な選挙で選ばれた政治家たちは下半身スキャンダルや些細な重箱のつつきあいに余念がなく、政策議論はほったらかしである。なぜそのような状況が放置され一向に改善されないのか。代替となる次の言葉を持たないからだ。そんな世界的な行き詰まりに、ルトガー・ブレグマンがオランダから持ってきた解決策がこの本を通してアメリカをはじめとする各国でベストセラーとなっている。下記はTEDで著者が行ったスピーチである。

かつてなく豊な時代に行き詰まる世界

 この本ではまず、現代がかつてないほど豊かな時代であるという説明から入る。そして、その豊かな時代にかつてないほどに不幸で行き詰まってしまった現代人の姿を浮き彫りにする。これから生活がよくなっていく兆しが見えないという社会に漂う閉塞感は、日本に限ったことではないのだということが伝わってくる。現代が世界的に見ても歴史上のどの時点より豊かである事は疑いようもない事実だ。であるならばなぜ、我々の生活はこんなに行き詰ってしまっているのだろうか。かつてないほど豊かな世界で、家賃、電気ガス水道のライフライン、年金、健康保険、と様々な支払いに追われ、支払いが滞るとホームレスまっしぐらだというプレッシャーの中で生きている。誰もが職を得て順調なうちは貧困など怠惰な人間の報いだと高をくくっている。しかしひとたびリストラや会社の倒産、自身の大病、親の介護など、思いがけない失職に合えばその揺るぎない自信ももろく崩れ去る。

 生活を支えるためには職を得て安定した収入を確保することが必要だ。すべての現役世代の人間はもれなく職に就く必要があるというルールの上にこの社会は成り立っている。そうしてある日突然失業者となった人の生活は行き詰まる。支払期限までにお金が足りないという根源的恐怖は人に欠乏の心理状態を作り出す。本書で引用されている欠乏の心理の研究によれば、欠乏の心理状態になると人間は欠乏を最優先に解決すべき課題として多くのリソースを割いて解決しようとするため、能力の帯域を使い果たしてしまってほかのことが行えなくなり、その影響はIQが13~14ポイント下がるに相当するという。貧困は知能や人格の欠如などではなく、ただ単に金銭の欠如なのだ。今日の支払いを済ませるために長期的な節約の機会を見送らなければならない。非効率だから貧困に陥るのではなく、貧困であるがゆえに効率的な行動が制限されてしまう。貧困に落ちるのはひどく簡単で、抜け出すのは恐ろしく困難だ。生活保護はセーフティーネットなどではなく不正受給者に恩恵を与え、貧者をとらえるアリ地獄となり果てている。

 なぜこんなにも豊かなのに貧困が増え、人手不足だと言われながら賃金が下がり続けるのか。経済格差が歴史上例を見ないほどに拡大しており、尚も拡大を続けているからだ。富裕層が豊かになればそれが消費につながり、その消費が労働者の賃金になって社会を潤していくというトリクルダウンが機能しないということが確定的になったからである。同じゲームを長く繰り返し続けていれば勝者が確定していくのは当然のことだ。プロ野球ならそれを防ぐために弱いチームに強いルーキーが入るようにドラフト会議で調整を行う。しかしこの社会には勝者の偏りを是正する仕組みは存在しない。たくさん稼げる富裕層と全く稼げない貧困層の差は開く一方だ。中流階級がいなくなり、消費が冷え込んで景気も悪く、企業もいつ倒れるかわからないので内部留保貯めるため利益を賃金に反映させることができない事が格差の拡大に拍車をかける。そしてさらにみんなが貧しく、誰も消費しない世界が続く。世界恐慌の時、世界が行き詰まったのは買いたい人がいなくて物が余ったからだ。生産能力が足りなくてとん挫したのではない。現在でも、生産能力は有り余っており、買ってくれる人がいなくなると不況になってしまうので営業や広告がとても重視されるという世界に我々は生きている。生産能力は有り余っているのだ。そのため大災害や大イベントで需要が生まれると景気はにわかに活気づく。それが3.11であり東京オリンピックであり、昨今の実感のない好景気の正体だ。復興需要やオリンピック需要でGDPは増えたかもしれないし、現場の人間が過労死するほどに人手が求められたかもしれないが、関係のない分野には全く恩恵が無い。トリクルダウンは起きなかった。景気が良くなるからと言って災害を意図的に起こすことは不可能だし、オリンピックや万博などのイベントを誘致しても結局は特定の広告代理店やゼネコンを潤すだけで、いつまでも続けるにも限界がある。

さらに減る中産階級

 本書では、技術革新による雇用の減少にも触れられている。ITの発展によりあらゆる技術の発展が加速度的に進んでおり、技術の進歩は直線的ではなく指数的に進みやがて技術的特異点がやってくるというレイ・カーツワイルの予言が現実のものとなりつつある。

 AIやシンギュラリティーの到来の話になると、それらの技術に期待や危機感を持つ人と、それらの技術を過大評価しすぎているという人の対立になりがちだ。しかし、意識を持った人工知能こそは実現の糸口すら見えてこないが、AIが人間の職を奪うかどうかという点においては、最早疑いの余地なく人間の職は奪われるのが確定的だ。これまで蒸気機関に始まる産業の機械化や自動化は単純な反復作業を労働者の手から奪ってきた。それであれば人間はより複雑な方へ職をシフトすればよかった。だがAIはより複雑な情報を扱う分野を得意としている。単純な事務から、デザインや設計、作曲や絵画の制作まで、それまで人間的だと思われていた作業のほとんどがAIにとってかわられる。囲碁や将棋の第一人者が負かされたように、その分野に特化したAIが開発されれば人間は太刀打ちできない。後はそれが現実的な価格で売り出されるまでどれだけの時間がかかるかといった時間の問題に過ぎない。いずれデスクワークのほとんどが奪われていき、現時点でも高付加価値と思われていたオフィスワークが減ってきている。逆に置き換えにくいのが現場の肉体労働だ。ロボットがまだ高価なため汎用的な動きのできる人間に一日の長がある。その状況もいつまで持つかわからない。ロボットの設計開発もAIが人間を手助けしている。AIの発達によって奪われた職の代わりに新たな職が創造されるので問題ないという話があちらこちらで聞こえるが、その職もおそらくAIによって最適化されてしまうだろう事は想像に難くない。よって、AIの発達は中産階級の壊滅を加速させる。この世界が人間が営む人間の世界である以上、人間が不要になることはない。極端な話、AIが起業してAIによって運営される会社があったとしても必ずオーナーがいるはずだ。従業員にもいくらかの理由で人間が必要とされ配置されるだろう。確かにそんな世界は夢物語かもしれないが、ただ現実的に考えても必要とされる職の数はすごく減るというのは間違いない。そうなるのが悪いというわけではない。むしろ技術の発展によって人間が労働から解放されるならばそれは喜ばれるべきなのだ。

全ての労働が善であるというパラダイムの終焉

 この本にも紹介されている通り、借金と消費による金融資本主義が始まる前は技術革新による労働時間の短縮は当たり前のきたるべき未来として受け入れられていたのだ。生産に人手が必要なくなった世界で社会が破綻せずに存続するためには、今まで人々が信じていた神話を大きく転換する必要がある。この本はその方向性について語っているのだ。長引く不況下では供給をすべて消費しきるだけの需要は生まれない。供給をすべて消費しきる需要が無ければ不況になる。好況と不況を繰り返しつつ消費をあおって経済発展を続けて今日に至る。人々が物を買えなくなるとローンやクレジットカードのリボ払いなどの借金をさせてまで消費を続けさせ有り余る生産能力で大量生産された商品やサービスを捌くことで経済を拡大させてきた。ではなぜそんなに余るほど生産する必要があるのか。皆が働かなければ生きていけないという前提があるからだ。すべての人に職を与えなければならない。雇用を創出しなければならない。その結果として、雇用を創出するためだけに生まれた職や商品やサービスが必要とされている。誰も欲しがらないものを生産して無理やり売りつけていないだろうか。仕事を作るための仕事を行い、まるでマッチポンプのようだと思ったことはないだろうか。売れないマンションを建てて最終的に持っていた人の負けというようなババ抜きを行って仕事した気になっていたりしないだろうか。問い合わせ窓口に電話してきた人の問題を解決する為でなくあきらめさせるためにたらいまわしする仕事なんて早くAIに明け渡してしまったほうが世間のためではないのか。この仕事が無ければ、世の中はもっといいものだったんじゃないだろうかと思うような仕事をしていないだろうか。効率化するとなくなる仕事を、効率化に抵抗してまで続けて何の意味があるのだろうか。それは社会の損失ではないのか。全員が全員そんな意味のない仕事をしていると言いたいわけではない。もちろんそれが無ければ寂しかったり困ったりする職業もたくさんある。社会を支える不可欠な仕事もある。でもそうでないものもたくさんある。自分のやっている仕事は無意味だと思いながら働いている人は少なくない。そのような労働から人類を解放しても社会を維持する生産能力が確保されているならば、開放してもっと有意義な方向にもっていく方法を考えるのが自然な流れだ。

 全員が8時間労働を週5日行わなくても社会を支えるだけの生産性は確保されている。ならば労働時間はもっと短縮されていい。労働時間の短縮が逆に生産性をあげるという例は枚挙にいとまがない。大幅に労働時間を減らしても生産性は思ったほど減らないという例もこの本で紹介されている。ベーシックインカムによって生活が保障されているならば無意味な労働をする必要がなくなる。生活が安定しているならば、後継者がいない儲からない伝統工芸に弟子入りする若者が現れるだろう。赤字ではないが儲けが出ないので締めざるを得ない個人商店の経営が維持される所が出てくるに違いない。それは買い物難民の救済につながる。罪を犯して刑期を終えた人々の生活が安定しているなら、生活のために再び犯罪を犯すことも減るだろう。老後が安定しているなら、タンス預金を消費に回すことだってできる。売れない漫画家はヒットするまで漫画を描き続けることができる。生前全く評価されずに死後に評価されるであろう画家もつつましく暮らしながら作品を生み続けることができる。役人が生活保護の不正受給と戦う必要もない。年金破綻におびえる必要もない。一時的な金でなく、継続的に収入があるなら、貯蓄を減らして消費に回るマネーが増えることは間違いない。本書によると過去にベーシックインカムに関して行われた実験の結果はおおむね良好であるという。人々が無駄な労働から解放されて思い思いの経済活動を始めることにより、むしろ経済は拡大し福祉にかかる財政の縮小と税収のアップが見込めるという試算だ。ベーシックインカムがもらえたからと言って人がすぐに職を手放すというわけではない。月収がいくらか増えたからと言って今の職を辞めるだろうか。きっと辞めない人のほうが多い。今、ハワイやカナダ、インドなどでベーシックインカムの試験運用が始まっている。財源がちゃんと回るようにするためにはいろんなパラメーターをいじる必要はあるだろうが、そのための実績となるデータは着々と増えつつある。上にあげたような世界は何も夢物語ではない。目指すべき形としてそこにある。

蓄積される怒りと富裕層の危機感

 経済格差の拡大が問題だなどと言うのは負け犬貧者の戯言だと思うかもしれない。だが、奴隷労働者が存在した時代よりも広がってしまった経済格差に危機感を覚えているのは貧者の側だけではない。世界経済フォーラムのダボス会議でも「搾取されて怒れる中産階級」が議題に上ったという。資本家であるニック・ハノーアー氏はTEDスピーチでトリクルダウン政策とは手を切って
「ミドル・アウト経済」を採用する必要があると訴えた。富裕層の中にも危機感が芽生えている。

 皆が消費しないのは、生活に安定感が無いからだ。いつ職を失ってもいいように蓄えなければならない。高齢者は削られ続ける年金とひたすら引き下げられる介護認定に備えるためにタンス預金をしなければならない。企業が目まぐるしく変わる経営環境に備えるために内部留保をためこむのと同様に、自分もいつ中産階級でいられなくなるか気が気ではないので消費に回すお金を絞って貯蓄に回すのは当然だ。今、富裕層でいられたとしても、大衆の消費が冷え込んだこの状態が続けばみんな等しく貧しくなっていく。その対策が最優先で求められているはずだ。リベラルに期待されているのはここでこそルトガー・ブレグマンが唱えているような革新的な政策を提案することだったはずだ。なぜか誰もその仕事に着手しない。本書の中でルトガー・ブレグマンは「負け犬の社会主義者」として革新的な政策が否定されるのに慣れ切ったリベラルを批判しているが、日本のリベラルはそれ以前だ。今リベラルに求められているのは、スキャンダルで政敵を失脚させることなどではなく、データに基づいた分析で論理武装した革新的な政策を提案することだ。

大文字の政治

 本書では、もう一つ国境の開放というテーマが語られている。入国管理とパスポートをなくしてしまうことによって経済効果がえられ世界的な地域格差の是正が成されるという。これは短時間労働やベーシックインカムなんかよりもっと大胆な提案だ。この提案は今はオヴァートンの窓をずらすための装置として機能している。オヴァートンの窓とは、政治家は両極端の案に挟まれた窓から見える無難な支持の得られる政策を選択していくというアメリカの弁護士ジョセフ・オヴァートンが提唱した概念だ。より極端な政策が提案されることによって支持される政策が提案された極端な案の側によっていきオヴァートンの窓はずれていく。いずれベーシックインカムや短時間労働が実現したら次の政策課題として世界中で議論が始まるかもしれない。そんなオヴァートンの窓を動かすような大上段に構えた、社会を本気で変えることを狙った大文字の政治の姿を描き実行していく能力を持った人々が、生活するための無意味な仕事でその才能を浪費することなく、革新的な政策の実行にかかわってくれることを心から望む。そんなことを考えさせられる一冊であった。皆様はどのようのお読みになったであろうか。

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