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映画評
2014-02-26 22:31 by 仁伯爵

Trickシリーズの終焉

 先週末、大阪で行われた岡田斗司夫のひとり夜話を聞きに行った。その事で何か面白い記事が書けるかと思っていたのだが、特にBlog記事に書きたくなるようなことは何もなかった。そのまま帰るのもしゃくだったので、かねてから見に行こうと思ってそのままになっていた映画、Trick劇場版~ラストステージ~を見てきた。
 結論から申し上げるに、面白かった。期待以上であった。私は、Trickシリーズが大好きである。14年前の1stシーズンのころからのファンだ。深夜の時間帯に放送するB級ドラマというと近年では珍しくないが、Trickはその走りであったのではないだろうか。滑っても気にしない全力のギャグをシリアスな推理物の中で次々と繰り出していく様は、清々しいとさえ感じられた。TVシリーズ3作が終了した後も、劇場版やTVスペシャルでちょこちょこと続いてきたが、今回のこの4作目の劇場版で本当に最後であるという。最後を飾るにふさわしい綺麗な終わり方であった。

シリーズを支えた解決してはならない問題

 ラブコメの主人公カップルの恋愛にはその恋が実るにしても、潰えるにしても答えが出てはならない。その恋の結末は物語の結末となってしまうからだ。Trickにも同様に物語を通して主人公たちが抱える解決されない問題が三つあった。霊能者の犯罪を暴くたびにエピソードが区切られていく中で、この三つの問題が継続して存在することで、各エピソードをまとめ上げ一つの物語たらしめているのである。

 一つ目の問題は、霊能者のインチキを暴く行いは正義か否か、という問題である。この問題は最初のTVシリーズの”母の泉”編から繰り返し提示される。TVシリーズの最初のエピソードで主人公たちは、宗教団体 母の泉の教祖、ビッグマザーのトリックを暴いた結果、ビッグマザーを自決に追いやってしまう。さらに、警察に教団幹部が腰縄で数珠つなぎにされて連行されていく中、No.2の男が、ビッグマザーの死をおえつを漏らして嘆き悲しむ大勢の信者たちを前に主人公二人に向かって以下のようにうそぶく。
「正しい事をしたつもりか。見ろ、なんも変わっちゃいねえ。ビッグマザーを失ったあいつらに何が残る?希望も救いもない人生が待ってるだけだ。本当にあいつらを救おうとしたのはどっちだ。おめえたちか?俺たちか?」
 霊能者によって救われている人たちが存在していて、その人たちには罪はない。弱かっただけである。その中でも強く依存していた人たちの人生は霊能者の不在により、少なくとも現状維持が不可能な程度に破綻してしまう。この構図は物語を通じて繰り返される。シリーズのすべてのエピソードにおいて事件を解決してもそれによって不幸になる人物が必ず存在している。この物語で強烈に心に残るセリフの多くは、コミカルで軽薄な主人公たちよりも、そのような人たちが事件解決後に語る捨て台詞の中にこそある。

  • 「そうだよ。おじさんはインチキだからね。」(千里眼 桂木 弘章「僕は治らないの?死んじゃうの?」と聞く車いすの少年に向かって)
  • 「あなたの求めている真実が必ずしも白く正しいとは限らない。ごちそうさま。」(遠隔殺人 黒坂 美幸)
  • 「島はどうせ死んでいく。今度は何を作る?何を壊す?」(黒門島 黒津 次男)

 山田奈緒子は事件を解決するごとに深く傷ついており、学者である上田は真実を暴くことに何の躊躇もない。だからこそ、上田は山田を慰めることができる立場にあり常に間違うことが許されない。このような凝った演出やこだわりはシリーズを重ねるごとに薄くなりそれが第二シーズンや第三シーズンのパワーダウンの原因であった思う。

 二つ目の問題は、山田奈緒子は霊能者なのか否かという問題である。これは、Trickの作品世界に霊能力が存在するのかどうか、という問題を分かりやすく前面に押し出すための仕掛けであり、イコールであるといっていい。シリーズを通して様々な霊能者と対決していくにしたがって、霊能者とは人々に祭り上げられて自分を犠牲にして皆を救う役割を負った存在であるということが浮き彫りになっていく。そして複数の霊能者から山田奈緒子自身が霊能者であると示唆される。母、里見が黒門島のシャーマンであり、マジシャンである父と駆け落ちをして生まれたという生い立ちを持つ山田奈緒子は黒門島の人々に接触することでその生い立ちを知り自分がシャーマンの役割を放棄していることに後ろめたさを感じている。山田奈緒子は、シャーマンの血を引いているが故に、霊能者のインチキを暴くという解決方法のほかに、自身がシャーマンとなり人々を救うという解決方法も選択肢として持つ。第一シリーズの最終エピソードで黒門島に連れ去られてしまった時も一時は自分を犠牲にしてシャーマンとなり人々を救おうとする。それを上田が霊能力を否定して救いだす。その後も、山田奈緒子自身が霊能者なのではないかという疑いが生じるたびに上田が連れ戻し、山田奈緒子は一線を越えずに踏みとどまるという構図となっていた。

 三つ目の問題は、山田奈緒子と上田の恋の行方問題である。ラブコメ要素が抑えられた作品ではあるものの確実に0ではない。トリック劇場版では、上田が暗号にかこつけてアナグラムで愛の告白を行ったりするし、山田は山田でまんざらでもなさそうなリアクションをとり、たびたび自己犠牲により上田を救おうとする。劇中ではそのような愛の告白にも等しい場面があるが、事件が解決して日常が戻ったシーンでは照れ隠しにその愛の行動を否定しじゃれあうにとどまる。

 これら三つの問題がTrickシリーズの屋台骨を支えており、解決したとたんに物語は別の物語に変貌してしまう。シリーズを続けるには問題が解決されずに継続される必要があり、キャラクターも固定され大幅な変化はできない。各登場人物は微妙な心境の変化は持つが、一線は決して越えない。それが許されるのは物語の完結編のみなのである。

問題の再提示と解決の予感

 今作、ラストステージにおいてはこれらの問題に対し一応の答えが示され物語を締めくくっている。舞台となる赤道スンガイ共和国は、”母の泉”編の最後で自決したビッグマザーが実は影武者で本物のビッグマザーが逃げ延びて独立を助け、14年かけてコツコツと作り上げた国である。(劇場版パンフレットP26あたり堤監督のインタビュー記事より)この国でビッグマザーこと、霧島澄子(菅井きん)はキン=スンガイとして生き延びており、悪事を働くことなく人々を助け慕われたという設定だ。国際空港には肖像画が掲げられ、紙幣にも肖像が印刷されているが、打ち立てた国は王国ではなく共和国である。TVシリーズの”母の泉”編ではNo.2の暴走により人々を救うことに失敗した霧島澄子だが、ここでは霊能者として祭り上げられ、ある意味での自己犠牲を払うという前と同じ道を選びつつ、本編には登場しないまでもスンガイ共和国の平和な状況から今度は人々を救うことに成功している姿が描かれている。実際に対決するのはボノイズンミと呼ばれる霊能者でキン=スンガイではないが、ボノイズンミの信者もビッグマザーの信者と同じ印を結び、「おっかぁさんまぁ~」と同じ祝詞を唱える。ボノイズンミと言いうネーミング自体、「母の泉」がなまったものだ。同じ教えを受け継ぐものと対決することにより、シリーズの最初から提示されていた問題が再提示され完結編である本作で全てに回答がなされるということを予感させるつくりとなっている。

 今回の事件では、主人公たちが事件に介入する前から霊能力のインチキを暴く側である村上商事(株)の人間が、霊能力を信じる側の村人たちを複数殺害している。村人たちの村上商事社員殺害はその報復であり、村人を殺した人物以外には手をかけていない。善対悪の話ではない。悪者と、悪者から身を守るために悪事に手を染める者たちの間に、悪事に手を染めていない主人公たちが割り込む話である。

完結編としての問題の解決

 上田はトリックを暴いた後で、ボノイズンミは地下の変動に敏感な者が西洋科学でまだ発見されていないジャングルの中で経験として積み上げられた薬草や毒物の知識を伝えられて、村というコミュニティーをまとめ上げるのに必要な存在となり、シャーマンとなるのだと語る。それをさらに一般化し、シャーマンなんて社会システムの一部でそんなもんだと結論付ける。

 さらに山田奈緒子はそこから一歩踏み込んで、ボノイズンミには定期的に地上で起こる大爆発を地下で自爆して防ぐ役割を負っているということを知ってしまう。これは山田奈緒子が黒門島のシャーマンがどういう存在かを垣間見たことがあるからたどり着けた回答であり、上田にはたどり着けなかった答えだ。上田が語るシャーマン社会システム説に納得し、自らも自爆して村人を救うことなんて霊能力と何の関係もないと分かった上で、村人をマジックでだましてボノイズンミの後継者となり自爆して村人を救う。村人もそれを理解して印を結び感謝の意を示す。

 これまでならば、山田が霊能力者を偽ろうとする度に失敗し、自らを犠牲にしようとする度には上田が連れ戻してきた。だが今回は、霊能力と関係ないと分かった上で山田はシャーマンの役割を引き受け、自爆して村人を救ってしまう。一つ目のインチキを暴くのは正義か否かという問題に対して、暴いた結果に起こる出来事の責任を取るという答えを得て、今まで越えなかった一線を越えるのだ。

 二つ目の霊能力は存在するかどうか問題については、明確な答えは提示されていない。山田奈緒子の母、里見は、山田奈緒子の自爆に際しては時を同じくして黒門島の読み方のない文字の祀られた祭壇に祈りをささげている。ちなみに祈りの言葉は沖縄言葉で「私と島はひとつ」とか「私に力が降りてくる」といった意味であるそうだ。(劇場版パンフレット 野際陽子インタビューより)遠く南国の島にいる娘の窮地を感じ取っている。さらに、山田奈緒子からのメッセージを受け取ってくれる霊能者を探す上田の前にひょっこり現れて、山田奈緒子と上田以外にだれも知りえないメッセージを送る約束について言及し、のちに記憶をなくした娘が現れることを知っていたかのように「娘をよろしくお願いします」と深々と頭を下げる。霊能力の有無については結論が出ていないが、一つ目の問題を解決した山田奈緒子は霊能力はあるかもしれないが、それに頼らずに生きていくべきであるという立場を確立しており最早葛藤がない。山田奈緒子は今後自分に霊能力があるからと言って動揺したり、ないからと言って落胆したりすることはないだろう。

 三つ目のラブコメ問題については、死後の世界があったら必ず連絡を取ると言い残した山田の言葉を信じ、山田のために霊能力を肯定することが許されなかった上田が、山田に再会したいがために本物の霊能力者を探す、というその行い自体が愛の告白に等しく、そこまで態度を明確にしてしまった上田は一つの答えを出し、戻れない一線をこえている。物語が終了したそのあとで二人が結ばれるにしても、結ばれないにしても、そんなことはどうでもいいのである。上田の前に記憶を失った山田奈緒子が現れた時点で上田の願いは成就している。例え「YOU、本物か?」の質問の意味がすれ違ってしまっても、淡々とマジックで上田を騙そうとする山田奈緒子に涙目の上田の感情が届かなくても、切なくもこの上ない完璧なハッピーエンドだ。山田奈緒子が記憶を失わずにいたら、持ち込まれる事件で霊能者のインチキを暴いた後にことごとく責任を取ろうとしてしまうだろう。それで身を亡ぼすかもしれないし、それを恐れて人の事件に介入することができなくなっているかもしれない。シャーマンとしての役割を全うした後、記憶を失うことで山田奈緒子は救われている。

 堤監督がどこかのインタビュー記事で、Trickの完結編の企画が出たから終わらせたが、できることならばずっとやっていたかった旨の発言をしていたように記憶している。山田里見役の野際陽子もパンフレットのインタビューの中でこれが最後だというが劇場版2の時もそんなこと言ってたから信用していない旨の発言している。この続編を作ることは可能かもしれない。だが、そうなればどうしても今までのTrickとは違ったものにせざるを得ず、今までと同じTrickを作ろうとするとどうしても無理やり感が出てしまうだろう。TVシリーズTrick2、Trick3のパワーダウンや、この劇場版4の出来のよさを考えると、ラストステージの名の通り完結させるのがよいのではないかと思う。私はやはり最初のTVシリーズのTrickが一番大好きなのだ。物語の最後を第一話にオーバーラップさせる演出には年甲斐もなく涙しそうになった、これを機にまた最初から見直してみようかと思わせるそんな切ない物語の終りであった。皆さんはどのようにご覧になっただろうか。

2 件のコメント!

  • こんばんわ!
    テレビの録画で今頃初見でした。
    気に入っていろいろと検索しました。
    その中でとても良いご感想だと思いました!

    • ありがとうございます!
      この作品、面白かったですよね。
      最初の大爆発ドッキリで水に落とされるところが、ボノイズンミとして爆発したあとに地下水脈に落ちるところの伏線になっていたりと繰り返し見ると新たな発見があるいい作品です。
      Trickが終わるのは寂しいですが、綺麗に終わった事の喜びの方が大きいそんな作品でした。

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